穏やかな笑顔でシンプルに暮らす!

シンプルが楽だと気付いちゃった。モノも考え方も。小さく丁寧な暮らしで気付いたことをシェアします。

ウチはウチ、ヨソはヨソ

ウチはウチ、ヨソはヨソ

ワタクシは結構厳しくしつけられたような気がします。とにかく父親が怖かった。典型的な亭主関白っぷりで、父親が仕事に行くときは家族全員が玄関に揃って「いってらっしゃい」と頭を下げてお見送りするような家でした。結果、親の顔色ばかりを見て振る舞うようになりました。お陰様で「優等生」「キチントさん」になり、周りの人からは信頼されるしっかりした人になりました。

家族という小さな社会

家族は社会です。一番小さな単位の社会です。子供は親に頼らないと生きていけませんよね。家族という社会に属する必要があります。その社会で力を持っているのは親です。つまり「親に従う」ことを少なからず強いられるわけです。強制、放任、過保護、無関心、家族によっては色々な親がいて、「子供が親に従わざるを得ない度合」も違います。「親のいう事を聞かないと、家族と言う社会から排除するよ」と脅して、子供に親の意見を強いるという事もあると思います。

許されなかったお泊り会

中学生になると、友達の家に集まって泊めて頂くという「お泊り会」のようなイベントがありました。みんな「行く!」と喜んでいうので、恐る恐る親に打診しました。「Aくんの家で今度お泊り会があるの。みんな行くっていうし、行ってもいい?」。結果、「ダメ」の一言。何度かこういうイベントがありましたが、ことごとく「ダメ」。とても悲しい気持ちになったのを覚えています。

立ちはだかる言葉「ウチはウチ、ヨソはヨソ」

「ダメ」と言われたとき、「なんで?」と聞き返すと「ご迷惑がかかるから」という理由。確かにお泊り会をするには準備も必要だし、お子様を預かる責任もあるのは、今になれば分かります。「でもAくんのお母さんもいいって言ってるよ」と言っても「ダメ」という回答。


中学生のワタクシには親を説得する材料をひねり出せませんでした。結局、最後に出てくるのは「みんなも行くって言ってるからいいでしょ?」という懇願。そして、最後に立ちはだかる「ウチはウチ、ヨソはヨソ」という鉄壁。

「チ~ン!」という効果音が聞こえてきそうなほど、この言葉を聞くと「あぁ、何を言っても無駄なんだな」とあきらめ、落ち込んだものです。翌日、学校で「ウチはダメだって」と友達に報告するときのツラさ。そしてOKをもらった友達同士で夢の広がる様なお泊り会のシミュレーション会議。そこに参加できない悲しさ、孤独感。

周りの評価を気にする生き方

こんな感じでずっと親の顔色を伺う生き方をしてきました。強いモノには歯向かってもムダ。欲しいモノも「買って」と言えなくなりました。親に褒められるように勉強も頑張りました。染みついた習慣。社会に出ても同じような生き方をしました。周りの人に嫌われないように、無難にこなして及第点を取るような生き方。自分の事より周りの人の事を優先させるような選択。というよりも、そうしている事が自然になってしまい、無意識にそういう生き方になっていました。そういう処世術は身に付きました。結果的に、年上の方に好かれるようになりました。実力以上に評価されるようになりました。「優しいね」と言われるようになりました。

見方を変えるといい言葉かも

そんな生き方をして(個人的には)大きな挫折。自分を押し殺して、周りを優先させて生きてきたはずなのに、結果上手くいかないじゃないか。紆余曲折あって今では打開できたのですが、その中で気づいた事。「あまりにも自分が無くなっていた。」ということ。しかも恐ろしいのは「それに自分自身が気づいていない。」ということ。

やりたいことも「やりたい」と言えない。未来の不安におびえて買いたいモノも買わない。イヤだと思っても「イヤだ」と言えない。なぜ?周りの目を気にしていたから。

でもそういう生き方をして、人生上手く行ってないでしょ?だったら、これからは自分の気持ちを大事にしようと決めました。自分でも驚きましたが、はじめの頃は「自分の気持ち」が分からなかったんです。何がしたいのか。何が楽しいのか。何が嫌なのか。「周りを優先してあげてるんだ」と被害者ぶっていましたが、周りに依存してたのかもしれません。

そのうち、「これやってみたい」「あれ食べたい」「それはイヤだ」という自分の気持ちに気付き始めます。でも言えないんです。やれないんです。なぜか?周りの批判が怖いから。つまり嫌われるのが怖いから。勇気が必要でした。とても怖かったですね。

そんなとき勇気をくれた言葉が「ウチはウチ、ヨソはヨソ」。

◆自分は自分の人生を生きている。他人の為に生きている訳じゃない。
◆「こんなことしたら、あの人に嫌われるんじゃないか?」というのはワタクシの考え。話してみたら、実際のあの人は全くそんなことは考えていなかった。
◆彼のいう「普通」は彼の中の常識。ワタクシにとっての「普通」ではない。
◆コップに半分の水を見て、ワタクシは「少ない」と思ってた。彼女は「多い」と思ってた。
◆失敗したけど、何とかなるもんだな。

こんな小さな気付きを経験して、積上げていた結果、「ワタクシはワタクシでいいんだ。」と思えるようになりました。

そう。「ウチはウチ、ヨソはヨソ」。
そう。「私は私、あなたはあなた」。

とても気が楽になりました

周りの評価ばかりを気にして生きてきたけど、その振る舞いを「良し」と思う人も居れば「悪し」と思う人もいる。万人に好かれる方法はないし、自分らしく(自分勝手ではない)生きているその振る舞いを「良し」と思う人も居る。それでいいや。と思えたら、ほんとに心が軽くなりました。目の前がひとまわり明るくなったような気さえします。

「変わったね」と言われることもあります。でも結果、離れて行ってしまった人はいませんでした。逆に「良い感じ」と言われる事が多くなりました。嫌われるのを抑えて隠していたモノを解放したら、逆にそっちの方が良いって。。。何のために我慢して抑えて隠してきたんだろう。。。何のために起こりもしない事を脳内シミュレーションしてきたんだろう。。。だったらもっとシンプルに生きよう。今、とても幸せに生きられるようになりました。

幼少期、ワタクシの前に立ちはだかった鉄壁の言葉「ウチはウチ、ヨソはヨソ」。この歳になってワタクシを救ってくれました「私は私、あなたはあなた」。とても不思議な感じがしました。そんなもんですかね。まぁこれでいいのかな♪

 

広告を非表示にする